身体OSの参照枠を書き換える
現代人を無意識のうちに縛る「西洋的OS」と、我々が忘却した「日本的OS」という、二つの身体観が存在します。デカルト以来の心身二元論に根差す前者が、身体を分析・制御すべき客体として捉えるのに対し、後者は「身心一如」の思想のもと、身体を経験の主体そのものである「身(mi)」として捉えます。本章では、能楽を「仮想の鏡」として、自らの身体OSを可視化し、一本歯下駄GETTAトレーニングと結びつけながら、身体知の再獲得への道筋を探ります。
一本歯下駄GETTAが呼び覚ます「地的」身体性 ― 能楽の身体知との邂逅
- 心身二元論(デカルト)
- 身体は分析・制御すべき客体
- Korper(物質としての身体)
- 効率性と直線的前進を重視
- 重力に「抗う」志向
- 歩行は「制御された落下」
- 身心一如(心身不二)
- 身体は経験の主体そのもの
- 身(mi)としての身体
- 安定と調和を重視
- 重力と「調和する」志向
- 歩行は「大地との対話」
第一節 なぜ能楽なのか ― 「地的」身体性の結晶
数ある日本の伝統文化の中で、なぜ能楽がこれほど強力な「仮想的界」として機能するのでしょうか。それは、能楽の身体技法が、西洋的OSの根幹をなす価値観―軽やかさ、効率性、直線的な前進―とは対極にある、重力と調和する「地的」な身体性の、比類なき結晶であるからです。
1.1 すり足とカマエ ― 能の身体技法
西洋の芸能が重心を胸のあたりに置くことで天に向かう傾向があるのに対し、日本の芸能は重心を腰より下に置くことで地に向かう。能楽の身体技法は、まさにこの「地的」身体哲学の精髄であり、一本歯下駄GETTAトレーニングはこの古来の身体知を現代に蘇らせる実践的方法である。
第二節 仮想の鏡が映し出すもの ― アフォーダンスの転換
能楽という「仮想的界」に自らの身を置くとき、一体何が起こるのでしょうか。それは、日常では決して意識にのぼることのなかった、自らの身体の「癖」や「思い込み」の発見です。これは一本歯下駄GETTAを初めて履いた時の体験と酷似しています。
能楽師の動きを模して、すり足で歩こうと試みたとしよう。多くの現代人は、即座に困難に直面するだろう。無意識のうちに爪先で床を蹴ってしまい、踵が浮き、その結果、頭が上下に揺れてしまう。上半身を水平に保とうとすればするほど、身体の各部がいかに連動しておらず、いかに西洋的な「歩行OS」に支配されているかを、身体そのものが「理解」し始める。
前進すること
安定して水平移動
としての大地
2.1 ギブソンのアフォーダンス理論から見たGETTA
ジェームズ・ギブソンの言う「アフォーダンス」とは、環境が動物に与える行為の可能性です。西洋的OSの下で生きる我々にとって、平らな床は「効率的に歩行し、前進すること」をアフォードします。しかし、一本歯下駄GETTAを履いた瞬間、床のアフォーダンスは劇的に変化します。床はもはや単なる移動のための平面ではなく、「上半身を揺らさずに、安定して水平移動すること」を要求する、極めて繊細なパートナーとなるのです。
このプロセスは、まさにマイネル教授が目指した「感性的・現象学的まなざし」を、実践的に育成する過程に他なりません。それは、動きを外部から客観的に分析するのではなく、動きの内側から、その質的な変化を主観的に「感じる」能力の涵養です。
第三節 感性の言語によるOSの再記述 ― ラバン動作分析理論
身体の「ズレ」の感覚を、より精密に捉え、意識的な変容へと繋げるために、ルドルフ・ラバンの動作分析理論(LMA)を分析の道具として用います。LMA、特にその「エフォート」(Effort)理論は、動きの質を記述するための普遍的な言語を提供します。
Strong
重力に身を委ね、大地との繋がりを維持。バレエの軽やかさとは対極。
Sustained
性急さを排し、ゆったりとした時間の流れ。瞬間的な反応とは異なる。
Bound
エネルギーの漏れを防ぎ、制御された動き。自由奔放な流れとは異なる。
西洋的OSの下での日常的な歩行は、多くの場合、より「軽く」「瞬間的」で「自由」なエフォートの組み合わせによって特徴づけられます。能楽という「仮想的界」、そして一本歯下駄GETTAは、我々に対して、意識的に「重く、持続的で、抑制された」エフォートの組み合わせへと、身体感覚をチューニングし直すことを要求するのです。
このLMAという「感性の言語」を用いることで、我々は自らの身体経験をより客観的に、しかし質的に捉え、変容させていくための具体的な手がかりを得ることができる。それは、身体OSの書き換えを、マイネルの感性学の視座から、より深く、より体系的に推進するための、強力な羅針盤となる。
第四節 一本歯下駄GETTAと能楽の統合
ここで我々は、能楽の身体技法と一本歯下駄GETTAトレーニングの驚くべき共通性を確認することができます。両者は異なる歴史と文脈を持ちながらも、同じ「地的」身体性の原理を体現しているのです。
能楽の「型」は、それ自体が完成された芸術であると同時に、我々現代人にとっては、失われた身体知を取り戻すための「仮想の鏡」となる。一本歯下駄GETTAは、この「型」の知恵を、より日常的で実践的な形で現代人に提供する、希有なトレーニングツールなのである。
能楽という「仮想の鏡」に自らの身体を映すとき、我々は初めて、自らの動きがいかに西洋的OSの重力に引かれていたかを、痛切に「体感」します。その鏡に映る自らの姿と向き合うこと。それこそが、身体OS書き換えの、長く、しかし実り多き旅の第一歩なのです。
一本歯下駄GETTAは、600年以上の歴史を持つ能楽の身体知を、現代人が日常的に実践できる形で再構成したものと言えるでしょう。能楽師のように長年の修行を積まなくとも、GETTAを履いて歩くという単純な行為の中に、「すり足」「カマエ」の原理が凝縮されています。それは、失われた日本的身体OSを取り戻すための、最も効率的で実践的な方法論の一つなのです。
2. あぜくらの夕べ「能の身体・狂言の身体」 – 日本芸術文化振興会
3. 「歩く」つながりで、古典芸能の「すり足」についても考えます – 劇場通いの芝居のはなし
4. 能楽をさらに詳しく知る – 金沢能楽会
5. ルドルフ・フォン・ラバン – Wikipedia
6. 5分で読めるダンス史シリーズ:ルドルフ・フォン・ラバン – note
7. 日本武道に見られる思想の研究(その3)−日本武道における「型」の一考察−
8. 「型」とは何か―『「型」の再考』で体感する「型」の叡智 – テンミニッツTV
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